日光例幣使道 道草ハイク

<2022年4月30日更新>

 

「HOME」 「旧東海道」目次 「旧中山道」目次 「旧甲州街道」目次 「旧日光街道」目次 

「旧奥州街道」目次 「浜街道(絹の道)」目次 「旧中原街道」目次 「大山街道」目次 

「日光御成街道」目次 「成田街道」目次 
車で辿る『奥の細道』目次
 「東海自然歩道」目次

【番外】
「御朱印でめぐる鎌倉三十三観音」

「日光例幣使道」の由来 (「倉賀野古商家おもてなし館」で入手した『日光例幣使道WALKING GUIDE』より)
 徳川家康をまつる日光東照宮の春の大祭に、京都の朝廷が幣帛(贈り物)を奉納するために派遣された使者である「日光例幣使」が通るために整備された道です。倉賀野(群馬県高崎市)から楡木(栃木県鹿沼市)までの間に13の宿場がおかれていました。例幣使の一行は50~60人で構成され、毎年4月1日に京都を出発し、中山道、例幣使道を通って4月15日に日光に到着しました。帰路は、江戸に寄り東海道を通って京都に戻りました。全行程29泊30日で、一日約40km歩いたことになります。例幣使は正保4年(1674)から慶応3年(1867)の二百二十一年間、一度も中断することなく派遣されました。

【宿場】
 中山道の倉賀野宿を出ると、①玉村宿・②五料宿・③柴宿境宿(当初間宿)・④木崎宿・⑤太田宿・⑥八木宿・⑦梁田宿・⑧天明宿・⑨犬伏宿・⑩富田宿・⑪栃木宿・⑫合戦場宿・⑬金崎宿が例幣使道の13宿。
 壬生道に合流して楡木宿奈佐原宿・鹿沼宿・文挟宿・板橋宿。日光道中と合流して今市宿鉢石宿、終点日光坊中となる。


 尚、文中で往時の説明等は、今井金吾著『今昔三道中独案内』を参考にさせて頂いた。


    目 次    (1回目~6回目は一人旅。 7回目は二人旅)
 

1回目 倉賀野宿・玉村宿・五料宿・柴宿 [2018.5.20]  倉賀野駅(JR東日本高崎線)→堀口町バス停(国際十王バス)
2回目 境宿   [2019.3.28] 堀口町バス停 → 境町駅(東武伊勢崎線)
3回目 木崎宿 [2019.11.17] 境町駅 → 細谷駅(東武伊勢崎線)
4回目 太田宿 [2021.11.6] 世良田駅(サイクリング)・細谷駅→太田駅(東武伊勢崎線)

5回目 八木宿 [2021.11.23] 太田駅(サイクリング)→福居駅(東部伊勢崎線)
6回目 梁田宿 [2022.2.26] 福居駅→富田駅(JR両毛線)

7回目 天明宿 [2022.4.16] 富田駅→佐野駅(JR両毛線)