浜街道(絹の道)道草ハイク

(一人旅)

<2014年5月21日改訂>


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【番外】
「御朱印でめぐる鎌倉三十三観音」


 安政六年(1859)に横浜港が開港されると、横浜から海外へ生糸の輸出が盛んとなった。当時八王子は群馬・長野・山梨など関東一円で生産された生糸の集積地で、「鑓水商人」と呼ばれた鑓水地区の商人が仲買となり、八王子から鑓水峠を越え、現在の町田街道や八王子街道(国道16号線)を通って横浜港へと運んだ。この道は「浜街道」と呼ばれていたが、生糸が多量に運ばれるようになり、昭和の中頃から「絹の道」とも呼ばれるようになった。
 ちなみに、明治初期の日本の輸出総額の60%が生糸で、20%が緑茶だった。


      目 次  


1回目 八王子(八日町交差点)~京王「多摩境駅」 [2014.3.12]

2回目 京王「多摩境駅」~JR横浜線「町田駅」 [2014.3.18] 

3回目 JR横浜線「町田駅」~相鉄「西谷駅」 [2014.3.29] 

4回目 相鉄「西谷駅」~横浜公園 [2014.4.2]