御朱印でめぐる鎌倉三十三観音(一日目)
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2022年5月10日(火) 晴 (夫婦二人旅)
鎌倉駅より路線バス(4番乗り場から鎌23・鎌24・鎌36系統)に乗り、「杉本観音前」で下車して、10:45第一札所の杉本寺からスタートして徒歩にて六観音を巡る。
〔コース〕 (…徒歩 ~バス)
鎌倉駅東口~(バス)~杉本寺…報国寺…旧華頂宮邸…浄妙寺・石窯ガーデンテラス(昼食)…足利公方舊蹟(きゅうせき)…明王院…光触寺~(バス)~宝戒寺…鶴岡八幡宮…鎌倉駅東口
【杉本寺】 10:45~11:08
鎌倉観世音第一番、 鎌倉二十四地蔵尊第六番(尼将軍地蔵尊)、 鎌倉地蔵尊第四番(身代地蔵尊)、 坂東第一番
拝観時間:9:00~16:00 拝観料:300円
住所:二階堂903
宗派 天台宗
山号寺号 大蔵山杉本寺(だいぞうざん すぎもとでら)
建立 8世紀
開山 行基(きょうき)
開基 光明皇后(こうみょうこうごう)
鎌倉幕府が成立する五〇〇年も前の奈良時代(八世紀)に、行基が開いたと伝える鎌倉最古の寺です。行基は奈良の大仏造営への貢献や貧民救済の社会事業などで知られています。
その後、光明皇后の寄進で本堂が建てられたと言われています。
本尊の十一面観音像三体は、国または市指定の重要文化財で、うち一体は行基の作とされています。
坂東三十三観音霊場の第一番札所で、八月十日の縁日は参拝者でにぎわいます。
鎌倉市
「杉本観音前」でバスを下りた道が金沢街道で、直ぐ左側に杉本寺の入口がある。
参道に入ると左手に鎌倉市が設置した上述の説明板が立っていて、そこから短い石段を登ったところに茅葺屋根の山門(仁王門)が建っている。
山門をくぐると、目の前に苔むした石段が現われる。歴史を感じさせられるベストショット(フォトジェニック)である。
左の石段を登り切ると茅葺屋根の本堂(観音堂)が杉木立に囲まれて建っている。
杉本寺は本堂内に入って参拝できる。
御朱印は本堂内右手の寺務所で頂ける。300円。
但し、寺院よっては複数の札所になっているので、どの御朱印が欲しいかはっきり告げること。
上記の様に杉本寺を例にとっても「鎌倉三十三観音」「坂東三十三観音」「鎌倉二十四地蔵」等さまざまな御朱印があるのではっきり告げることが必要となる。
第一札所で押して貰える発願印は、札所巡りで最初に参拝した人だけが頂けるもので、朱印帳に他の札所の御朱印が押されていたら貰えない。
従って、杉本寺をスタートとしなければならないので、このお寺で朱印帳を購入して、まっさらな状態から御朱印もスタートした。勿論、発願印も頂けた。
本堂に右手には六地蔵と五輪塔群が置かれている。
【報国寺】 11:14~11:34
鎌倉観世音第十番、 鎌倉十三仏霊場第八番(聖観世音菩薩)
拝観時間:9:00~16:00 拝観料(本堂までは無料。枯山水庭園・竹林は有料):300円
住所:浄妙寺2-7-4
宗派 臨済宗建長寺派
山号寺号 功臣山報国寺(こうしんざん ほうこくじ)
建立 建武元年(1334)
開山 天岸慧広(仏乗禅師)(てんがんえこう/ぶつじょうぜんじ)
開基 足利家時(あしかがいえとき)
足利、上杉両氏の菩提寺として栄えました。
開山は五山文学を代表する天岸慧広(仏乗禅師)です。仏乗禅師は、中国より招聘された円覚寺の開山・無学祖元に師事し、のちに中国へ渡って修行した高僧です。開山自筆と伝えられる『東帰集』や、自ら使用した「天岸」、「慧広」の木印は国の重要文化財で、鎌倉国宝館に保管されています。
孟宗竹の竹林が有名で、竹の寺とも言われています。
鎌倉市
「杉本寺」を出て、次の「報国寺入口」信号を右折し、滑川に架かる「華の橋」を渡って100メートル程入った右手に報国寺の山門(2007年3月に再建)が見えてくる。
この辺りは、鎌倉時代に宅間法眼一派の芸術家が住んでいたことから宅間谷戸と呼ばれ、近年では川端康成や林房雄等が居を構えていたとのこと。
この門を額縁に見立て、日本庭園で挟まれた参道を望む景色が美しい。
参道を進み、右にカーブすると本堂に突き当たる。本堂は、通常閉め切り。
御朱印は、本堂の左側にある受付で頂ける。300円。
枯山水庭園や竹林への拝観料は、その隣の窓口で受け付けている。
順路に従って本堂の裏手に進むとまず美しい庭園が現われる。
庭園の後ろの崖には傍まで近寄れないが横穴式古墳が見える。この報国寺は、足利家と室町幕府の対立から起こった永享十年(1438)の乱で幕府軍に敗れた足利義久がわずか10才で自刃した寺で、ここで関東の足利一族が滅亡した。この横穴式古墳には、開基の足利家時と足利義久、その他足利一族の墓がある。
更に順路に従って竹林エリアに進むと、数体の石仏(地蔵尊)と石塔が苔の上に建っている。ここから竹林が始まる。川端康成もよく散歩していたそうだ。
【旧華頂宮邸】 11:36~11:44
「報国寺」から更に奥に進むと直ぐ正面に旧華頂宮邸が建っている。
この日は残念ながら火曜日で休園の為、中に入ることが叶わなかったが、道路沿いの塀は格子状で外側から外観は見ることが出来る。
正門 庭園 |
【旧華頂宮邸】 鎌倉市景観重要建築物等(平成18年4月1日指定)・国登録有形文化財(平成18年10月18日登録)・歴史的風致形成建造物(令和3年2月22日指定) 旧華頂宮邸は、昭和4年(1929)に華頂博信侯爵邸として建てられたもので、県内にある戦前の洋風住宅建築としては鎌倉文学館とともに最大規模の建築物です。 外観はハーフティンバーと呼ばれる西洋の民家調で、極めて整然かつ古典的な意匠となっています。建築物の内部は、玄関ホールの小ヴォールドと呼ばれる珍しい天井や洋室にあるマントルピースなどが魅力的な空間を演出しています。フランス式庭園では、バラやアジサイなど四季折々の花や緑を楽しむことができます。 鎌倉市都市景観課 公開時間 4月~9月 10:00~16:00 10月~3月 10:00~15:00 休園日 月・火曜日(祝祭日の場合は開演とし、次の平日を休園)及び年末年始 入園料 無料 |
【浄妙寺】 11:50~13:14(含む昼食時間)
鎌倉観世音第九番、 鎌倉五山第五位
拝観時間:9:00~16:30 拝観料:100円
住所:浄妙寺3-8-31
宗派 臨済宗建長寺派
山号寺号 稲荷山浄妙寺(とうかざん じょうみょうじ)
建立 文治4年(1188)
開山 退耕行勇(たいこうぎょうゆう)
開基 足利義兼(あしかがよしかね)
源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣・足利義兼が、退耕行勇を開山として建立しました。行勇は源頼朝や政子が帰依した高僧です。
鎌倉五山第五位の由緒ある禅宗の寺で、室町時代は境内に二十三の塔頭を持つ大寺院でした。現在は総門、本堂、客殿、庫裏が残っています。茶室・喜泉庵と枯山水の庭は平成三年に復元されました。
本堂の奥にある鎌足稲荷神社は鎌倉の地名の由来になったとされています。
鎌倉市
「報国寺入口」信号に戻って、直ぐ先左側の「浄妙寺」バス停の所を左に入ると突き当たりに浄妙寺がある。
石段手前の左に説明板、12段程の石段を上がると総門が建っている。
総門をくぐると直ぐ左に受付があり、ここで拝観料を納めて入山。後述の食事処「石窯ガーデンテラス」へは、ここで拝観料を納めなければ行くことが出来ない。
尚、御朱帳をこの受付に預けておくと、帰りまでに御朱印を押して貰える。300円。
受付から数段の石段を上がると美しい庭園越しに本堂が見える。本堂は、通常閉め切り。
本堂の右に庫裏、左に喜泉庵と枯山水の庭、本堂に向って左に回り込むと本堂の後ろ接した開山堂、本堂裏の墓所には、室町幕府初代将軍・足利尊氏の父である足利貞氏の墓と伝わる宝篋印塔が残っている。(これらの写真は撮り忘れた)
本堂の後ろを更に左に行くと「石窯ガーデンテラス」の案内板が立っているので、それに従って小道を進み、突き当たりの階段を登る。
階段を上りきると道路に出るので右に進む。右手の墓地を見ながら坂道を登り、登り切った左手に「石窯ガーデンテラス」のエントランスがある。
そのエントランス入口右手の階段を上ったところに足利直義公の墓がある。
延福寺跡と云われる場所に足利一族を葬ったと考えられるやぐら群があって、一番手前の一つが直義の墓と伝えられている。
【伝 足利直義墓】 法名 大休寺殿古山恵源大禅定門 観応三年(1352)二月二十六日寂 |
【石窯ガーデンテラス】
エントランス奥の洋館(石窯ガーデンテラス)の左側がレストランの入口。
レストランには、広いテラス席もありテラスの前はイングリッスガーデンになっている。この時期あまり花は咲いていなかった。
メニューは、本日のお魚料理(\3,000)・特性ビーフシチュー(\3,500)・ガーデンプレート(\2,700)・渡り蟹のトマトクリームスパゲッティー(\2,700)等があり、付いてくるパンは毎朝石窯で焼く手作り。
私達はガーデンプレートを頼んだ。キッシュが厚く見た目以上にボリュームもあり美味しかった。
私達は行かなかったが、説明文の「鎌足稲荷神社」は、総門右横の坂道を登って行き、突き当たり右の石段を登った上にある。
【一条恵観山荘(いちじょうえかんさんそう)】 13:20
「浄妙寺」から金沢街道に戻り、直ぐ先右手に一条恵観山荘がある。
急なメンテナンスの為かこの日は休園しており、残念ながら中に入れなかった。(不定期で連続休園があるので調べてから行くことを勧める。)
江戸時代初期の寛永年間から正保年間にかけて、皇族の一条恵観の別邸として京都西加茂に創建された茶屋である。戦後、鎌倉へと移築され、国指定の重要文化財となった。江戸初期の朝廷文化を今に伝える建物として、京都の「桂離宮」に並ぶ遺構である。
その外観は田舎家風であるが、茅葺き屋根の内側にはこけら葺きの屋根が葺かれ、自然の形を活かした建材の数々と細工のなされた建具、モダンに描かれた杉戸絵など、皇族の雅で自然を愛する趣向が随所に盛り込まれており、風雅な好みを感じさせる。庭の枯山水・飛び石も合わせて移築されており、一部は茶人の金森宗和好みと伝わる。
【足利公方邸𦾔蹟】 13:28
「一条恵観山荘」から少し進んだ、右側「鎌倉泉水教会」の向かい(左側)の細道入口に足利公方邸𦾔蹟の碑が建っている。
【碑文】 頼朝開府ノ初足利義兼居ヲ此ノ地ニトシテ以来二百數十年間子孫相嗣イテ此ニ住ス 尊氏覇ヲ握リテ京都ニ遷ルノ後其ノ子義詮二代将軍トナリテ京都ノ邸ヲ嗣ギ 義詮ノ弟基氏關東管領トナリテ兵馬ノ権ヲ此ノ邸ニ執ル 而シテ之ヲ子孫ニ傳フ子孫京都ニ比擬シテ公方ト僭偁ス 享徳四年公方成氏執事上杉憲忠ノ不和ノ事ヨリ下總古河ニ遷ルニ及ビテ遂ニ永ク癈虚トナル 大正九年三月建之 鎌倉青年會 |
【明王院】 13:35~13:45
鎌倉観世音第八番、 鎌倉十三仏霊場第一番(不動明王)
拝観時間:9:00~16:00 拝観料:無料
住所:十二所32
宗派 真言宗泉涌寺派
山号寺号 飯盛山寛喜寺明王院(はんせいざん かんぎじ みょうおういん)
建立 嘉禎元年(1235)
開山 藤原頼経(ふじわらよりつね)
開基 定豪(じょうごう)(元鶴岡八幡宮別当)
鎌倉幕府の四代将軍藤原頼経が、将軍の祈願所として建立しました。幕府の鬼門の方角にあたるため、鬼門除け祈願所として本尊の五大明王が大きなお堂にそれぞれ祀られていたことから、古くから五大堂と呼ばれていました。五大明王とは不動明王、降三世(ごうさんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳(だいいとく)明王、金剛夜叉明王で、鎌倉市内で祀られているのは明王院だけです。
毎月二十八には護摩法要が行われ、この時だけは誰でも本堂に入ることができます。
鎌倉市
滑川に架かる「泉水橋」を渡り、「←鎌倉グリーンテニススクール」の看板を左折。「←明王院」の道路標識(神社仏閣・名所等)は上の方にあり、見逃しやすいので注意!
左折して「二つ川」を渡ると正面に明王院(通称「赤不動」)の冠木門が建っている。
整備された木立の境内に入ると、正面に茅葺屋根の本堂(不動堂)が見えてくる。本堂は、通常閉め切り。
本堂の左手には回向堂があり、御朱印はこちらで頂けるが、閉まっているのでインターフォンを押してお願いする。
回向堂には不動三尊が祀られている。本堂の右後ろに鐘楼堂等が建っている。
下の写真で、右が本堂、左が回向堂。
【光触寺】 13:51~14:05
鎌倉観世音第七番、 鎌倉二十四地蔵尊第五番(塩嘗地蔵尊)
拝観時間:10:00~16:00 拝観料:無料(本堂内拝観は予約制で300円)
住所:十二所793
宗派 時宗
山号寺号 岩藏山光触寺(がんぞうざん こうそくじ)
開基 一遍上人(いっぺんしょうにん)
開山 作阿上人(さくあしょうにん)
時宗の開祖・一遍上人が開基(寺の創立者)と伝えます。
本尊の木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(頬焼阿弥陀)には、盗みの疑いをかけられた法師の罪の身代わりになり、頬に焼印が残ったといわれる伝説があります。
本堂の前の「塩嘗(しおなめ)地蔵」は、六浦(現・横浜市金沢区)の塩売りが朝比奈峠を越えて鎌倉に来るたびにお地蔵様に塩をお供えしたといい、いつも帰りには無くなっていたところからその名の由来があります。昔は金沢方面から塩が入ってきたことが分かります。
鎌倉市
滑川に架かる「明石橋」を渡り、次の信号を右斜め前方に入り、「光触寺橋」を渡ると正面に光触寺の山門が見えてくる。
山門をくぐると左側に沢山の石仏が並ぶ石畳の綺麗な参道が現われる。
上の参道の突き当たりを左に曲がると本堂が見える。その曲がった所で一遍上人が出迎えてくれる。
一遍上人立像の左隣に塩嘗地蔵が祠に鎮座している。
その反対側に光触寺の説明板が立っている。
本堂は、通常閉め切り。
御朱印は本堂前の柱に付いているインターフォンからお願いする。
住職が本堂から対応され、記入しているあいだ本堂の扉を半開きにしたままだったので、内部を少し見ることが出来た。
更に、朱印帳は名刺盆で受け渡しを行い、仏前で祈祷してから頂けるという、今まで経験したことのない対応に御朱印の有り難さが増した。
たまたま二人とも千円札も小銭も切らして300円しか持ち合わせてなかったので、300円渡したが、持ち合わせていれば500円渡したかった。
昨今の御朱印ブームで、素人が書いても500円以上請求する寺社が多くなった中、感動すら覚えた。
【宝戒寺】 14:30~14:45
鎌倉観世音第二番、 鎌倉二十四地蔵尊第一番(子育径読地蔵尊)
拝観時間:〔4月~9月〕9:00~16:30 〔10月~3月〕9:30~16:00 拝観料:300円
住所:小町3-5-22
宗派 天台宗
山号寺号 金龍山円頓宝戒寺(きんりゅうざん えんどん ほうかいじ)
建立 建武2年(1335)
開山 五代国師(円観慧鎮)(えんかんえちん)
開基 後醍醐天皇
新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、最後の執権・北条高時をはじめ北条一族八百七十余名が自害したと伝えられています。
滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。
境内には四季を通じて花が咲き。九月には白いハギで埋め尽くされる「萩の寺」として有名です。
鎌倉市
「光触寺」を後に金沢街道に戻り、「十二所(じゅうにそう)」バス停から「大学前」(鶴岡八幡宮の東)までバスで移動する。
そこから鎌倉駅方面に歩いて直ぐの左側に宝戒寺の入口がある。
下の写真は門前の寺標と参道。
参道に入って直ぐ左側に北條執權邸𦾔蹟の碑が建っている。
【碑文】 往時此ノ地ニ北條氏ノ小町亭在リ 義時以後累代ノ執權概ネ皆之ニ住セリ 彼ノ相模入道ガ朝暮ニ宴筵ヲ張リ時ニ田樂法師ニ對シ列坐ノ宗族巨室ト倶ニ直垂大口ヲ爭ヒ解キテ纏頭ノ山ヲ築ケリト言フモ此ノ亭ナリ 元弘三年新田義貞亂入ノ際灰燼ニ歸ス 今ノ寶戒寺ハ建武二年足利尊氏ガ高時一族ノ怨魂弔祭ノ為北條氏ノ菩提寺東勝寺ヲ此ノ亭ノ故址ニ再興シ以テ其ノ號ヲ改メシモノナリ 大正七年三月建之 鎌倉町青年會 |
更に参道を進んで受付で拝観料を払い、本堂に上がる。本堂は仏前まで入ることが出来る。
正面に本尊の子育経読地蔵大菩薩(国重文)、脇立に帝釈天と梵天が祀られている。右側の一角に閻魔大王等、左側の一角には不動明王等が祀られている。
御朱印は本堂内右手の寺務所で頂ける。300円。
境内には、聖徳太子堂、徳崇大権現堂、大聖歓喜堂、梵鐘、宝篋印塔が建っている。
〔鶴岡八幡宮〕 14:45~15:15
「宝戒寺」から鎌倉駅に帰る道筋に鶴岡八幡宮があるので、ここへ来たら寄らないわけにはいかない。
三ノ鳥居(6/12撮影) |
【鶴岡八幡宮】 当宮は源頼義公が前九年の役平定後、康平六年(1063)報賽のため由比郷鶴岡の地に八幡大神を勧請したのに始まる。 治承四年(1180)源頼朝公は源氏再興の旗を挙げ、父祖由縁の地鎌倉に入ると、まず由比郷の八幡宮を遙拝し「祖宗を宗めんが為」小林郷北山(現在地)に奉遷し、京に於ける内裏に相当する位置に据えて諸整備に努めた。 建久二年(1191)大火により諸堂舎の多くが失われたが、頼朝公は直ちに再建し大臣山の中腹に社殿を造営して上下両院の現在の結構に整えた。 以来当宮は武家の守護神として北条・足利・後北条・徳川各氏も社領等の寄進、社殿の修造を行い尊崇した。 |
「三ノ鳥居」をくぐるとすぐ、「源平池」(源氏池と平家池)とそこに架かる「太鼓橋」が見える。
「太鼓橋」は渡れないので両側に架かる橋を渡って長い参道を進むと、手水舎の先に舞殿がある。
この舞殿は、源義経の愛妾であった静御前が義経の為に舞を舞った場所の跡地に建っているもの。
2022年はNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されていて、鎌倉が大いに盛り上がっている。ドラマでも静御前が義経の前で舞っていた。
「舞殿」の先に「大石段」があり、登った所に本宮の楼門がそびえている。
楼門の扁額に記された「八幡宮」の「八」の字は鳩が向き合う形になっている。これは鳩が八幡神のお使いであることにちなんだもの。
楼門より先は撮影禁止になっている。
「三ノ鳥居」から「二ノ鳥居」まで段葛を通り、土産(定番の鳩サブレー)を購入して、鎌倉駅(15:35)より帰宅。