宇都宮宿
(追分 → 「上河原通り」と「大通り」との交差点) <旧奥州街道1回目>
2011年11月13日(日)晴・2012年2月25日(土)曇
(注:
文中で街道の左側、右側とは白河に向っての左右です)
『旧日光街道9回目』(2011年11月13日)に日光道中を追分まで終了した時点で、宇都宮駅まで帰る途中に奥州道中を歩いた時と、『旧日光街道10回目』(2012年2月25日)に、「宮の橋」から「追分」まで歩いた 時のを合わせて、短い区間だが奥州道中1回目として編集し直した。
【日光道中と奥州道中との追分】 13:40
伝馬町の交差点が日光街道と奥州街道の追分である。
追分の右側に上野家本陣跡がある(『旧日光街道9回目』参照)。
【高札場跡】 (左側)
追分のすぐ先左側に高札場跡があって、青い説明板が立っている。
ここには、江戸時代に高札場がありました。高札場には、人々が従わなくてはならないお触れや、きまりごとなどを書いた木の札(高札)が立てられていました。宇都宮宿内の村々にも同様な高札場がありました。
【石塚本陣跡】 (左側)
「池上町交差点」を越えた「みずほ銀行」の辺りが石塚本陣跡であったが、説明板等は立っていなかった。
【おしどり塚】 (右側)
次の「本町交差点」を越えた先の「みやこ橋」渡ったらすぐ右折するのが奥州道中。
川沿いを少し進んで「オリオン通り」の商店街が見えたら左折する。
商店街を歩いているときに右奥に宇都宮城址が見える(二荒山神社・大いちょうを含め『旧日光街道10回目』参照)。
商店街を進み突き当たったら、左折し、すぐ次の道を右折する。
少し進んだ左側に史跡おしどり塚と刻まれた新しい石碑が建っているが、説明等は無かった。
オシドリの雄を射った狩人が、その雄をしたう雌鳥のくるしげな姿を見て発心し、供養の為にここに塚を築き、狩人は仏門に入ったと云う。
【宝蔵寺】 (左側) 14:10
左側「ホテルニューイタヤ」の前を過ぎた「上河原通り」に出たら左折し、次の「大通りを」を右折すると「宮の橋」を渡って宇都宮駅。
奥州道中は「大通り」を横断し、右カーブして「幸橋」を渡り、次の信号を左折して行く。
「大通り」を右折すると「宮の橋」手前左側に鐘楼門が建つ宝蔵寺がある。
天安元年(857)慈覚大師の草創と云う。
【およりの鐘】 宇都宮市指定有形文化財(昭和59年3月21日指定) 高さ/117cm 口径/81cm この鐘は、宇都宮氏の滅亡(1597年)によって廃寺となった東勝寺(日野通り北側一帯の地)にあったものである。江戸時代には夕暮れになると、宇都宮城下に鳴らされたので、「およりの鐘」として親しまれていた。「おより(御寝り)」とは「お休みになる」の意味である。鋳造年代は不明であるが、鐘の中帯に宇都宮氏の家紋「三つ巴」が20個ほどついているので、宇都宮氏の寄進によるものであろう。この鐘は、その後、様々ないきさつをたどって、昭和19年(1944)、宝蔵寺へ移され、今に至っている。 |
1回目の旅終了 「上河原通り」と「大通り」との交差点。
今回の記録
:街道のみの距離は、1.7Km (追分〜交差点)
宇都宮宿追分から十六町 (1.7Km)
寄り道を含めた実歩行距離は、2.1Km (追分〜宇都宮駅) 累計2.1Km
35分(追分〜宇都宮駅)