東海自然歩道 3回目 (顕鏡寺 → 西野々バス停)

 

 2012年11月3日(日) 快晴

  電車で「相模湖駅」迄行き、神奈中バスに乗り換えて「石老山入口バス停」より前回終えた「顕鏡寺」まで女坂経由で1.7Km(27分)。

  10分休憩して山門前を10:48スタート。

  (注: 文中で左側、右側とは大坂に向っての左右です)

 

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【融合平展望台】 

 「顕鏡寺」山門前から「石老山」を目ざして登り始めること7分で、道が左右に分かれる分岐点に出る(10:55)

 道標には『左 八方岩経由』、『右 桜山展望台経由・さくら道ハイキングコース』とある。どちらが東海自然歩道か分からず暫く悩んだが、ハイキングコースとある右コースを取った所、すぐ下り坂になってしまった。せっかく登ったのに、ここで下りるのは勿体ないと思い引き返そうとしたが、後から登って来た夫婦もこちらに向って来たので、そのまま進むことにした。下り坂はあまり長くなく、程なく歩きやすい登り坂となる。

 比較的快適な道を登ったが、「桜山展望台」は見つからないまま、11:10下から来る道に合流した。この道が『八方岩経由』の道で、少し下がった所に八方岩があり、ここからの展望は素晴らしかった。

【八方岩】

 山腹に突出した岩が「八方岩」で、この岩に登れば八方が見えるといわれているが、東南方面が見えるだけである。東南方面の眺望は雄大である。

 岩の大きさは高さ約九m、横幅約十四mである。

 左の写真が八方岩で、右の写真がこの岩からの眺望。

 「石老山」登山道はこの合流点から右に曲って(八方岩経由では左折)更に登って行く。この合流点に道標が立っていて『篠原3.6Km・石老山1.1Km』とあった。

 合流点から10分で標高570mの融合平展望台に着く(11:25)

 融合平に立つ道標には『石老山1.1Km・篠原3.2Km』と書かれていた??

 この展望台にはテーブルとベンチがあり北に相模湖が綺麗に見える(左下の写真が融合平見晴台から見た相模湖)

 今日は日曜日なので大勢のハイカーと出合ったが、この融合平に小さな子を連れたハイカーの一団が休んでいたのには一瞬驚いてしまった。こんな小さな子がどうやって登って来たのかと思っていたところ、同じ考えを持った他のハイカーが質問した時、お父さんがやおら子供を背負って「荷物だと思えば 問題ない!」と答えていたので納得。 


【石老山(せきろうざん)

 融合平展望台11:30出発。

 ゆっくり登って40分で石老山山頂に到着(12:10)。山頂にはテーブルとベンチがあり、大勢の人が休んでいた。

 山頂から富士山が良く見えた(左の写真)。トイレ無し。

 持参の弁当で昼食休憩25分。

【石老山(標高694.3m)】 藤野町十五名山

 ここは石老山の頂上です。山之中腹にある石老山顕鏡寺は有名で、寺の山号をとってこの山を石老山と呼ぶようになりました。正面には標高1000mを越える丹沢の山並みが見えます。最高峰は標高1672.7mの蛭ヶ岳です。天気が良ければ、右手に富士山が見えます。東海自然歩道は手前に二つの峰がある石砂山を越え、道志川を渡って西野々へと向います。そこからは山岳地帯となりますので十分な装備と、綿密な計画が必要です。

     神奈川県 自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課

 石老山12:35出発。

 山頂から右方向の篠原へ下りる。少し下りた所で左方向に進む。篠原方面に行く人は私一人だった。

 12:55、テーブルとベンチがある広場に出る。何故かこんな山奥に小さいながら金毘羅神社が建っていた。道標には『篠原1.3Km・石老山0.8Km』とあった。

【こんぴらさま信仰の由来】

 金刀比羅宮を拠点に発展した金毘羅信仰である。起源は、ワニを神格化したもので、仏教にとり入られ仏教を守る神さまとしてスタート。本地垂迹(ほんじすいじゃく)的な考え方により、仏教の守護神金毘羅さまが金毘羅大権現となり、明治の神仏分離令によって神社として出発「金毘羅」は金刀比羅にかわった。

 自分たちの衣食住を支える根源・すべての生産のもとは山にあると考えられた。

【篠原の里】

 13:30石老山登山道を下り切って舗装道路に出たら左折する。

 閉まっていた「篠原の里」会館前、次いで「篠原バス停」を過ぎるとすぐ左側に道標が立っている所に出る(13:42)。道標には、左(歩いて来た方向)『東海自然歩道 ねん坂6.7Km・石老山2.6Km』、右『東海自然歩道 牧馬』、右斜め『東海自然歩道 石砂山1.8Km』と書かれており、この道標を見逃すと石砂山には行けなくなるので注意!

 石砂山には、道標がある所から橋を渡って右斜めの川に沿った道に入る。

 入ってすぐ右側に「ギフチョウ生息地」の説明板が立っていた。

【ギフチョウとその生息地】 神奈川県指定天然記念物(昭和57年12月28日指定)

 ギフチョウはアゲハチョウ科に属する本州特産のチョウで春に出現、その美しく可憐な姿から「春の女神」と称されている。

 成虫は暖かな日中に活動し、日当たりの良い斜面を地上低くゆるやかに舞い、またスミレやサクラの花を求めて吸密する。真珠のような卵はカンアオイの仲間(藤野町ではカントウカンアオイ)にまとめて産み付けられ、ほぼ二十〜二十五日後に幼虫がふ化する。幼虫はカンナオイの葉を食べて成長し、約四十日で蛹化、初夏から翌春までの長い期間を蛹で過ごす。
 かつて神奈川県では、表丹沢と東丹沢の山麓から津久井郡にかけて広く分布していた。しかし、これらの生息地の多くは1960年以降に相次いで消滅し、現在では藤野町の一部で少数の自然発生が確認されているにすぎない。
 神奈川県に生息するギフチョウは、分途上太平洋側の東限をなし、独特の形質を持つ個体群を形成していることで、その自然誌的価値はきわめて大きい。絶滅に瀕した、県下のギフチョウを後世に永く残すために、県指定天然記念物として保護するものである。

 注意 藤野町においてギフチョウ(卵・幼虫・蛹も含む)を採集したり、許可なくして生息に影響を及ばす行為をした者は処罰されますのでご注意ください。

     昭和五十八年三月 神奈川県教育委員会

【石砂山(いしざれやま) 藤野町十五名山

 「ギフチョウ生息地」の説明板から5分程進んだ右側にトイレがある。この先、「石砂山」を含め「西野々バス停」迄トイレは有りませんので、ここで必ず済ませておくこと。

 すぐ先のバス停から登り坂になり、民家前の小さな板橋を左に渡ると石砂山登山道となる。その登り口に道標が立っていて『東海自然歩道 石砂山1.5Km』とある。

 13:53、登山開始。丸太の階段などで道は整備されており、暫くはきつくない登り道と平らな道の繰り返しが続く。

 しかし、山頂まで0.5Kmの道標(14:20)を過ぎ、残り300m位の所で非常に急な階段が現れ、心臓破りの登山となった。

 14:40、息を切らして、標高577mの石砂山山頂に到着。

 「石砂山」の説明板は無かったが、新しいテーブルとベンチがあった(左の写真)

 道標には『東海自然歩道 伏馬田入口バス停3.7Km』『篠原バス停2.2Km』とあった。

 石砂山14:50出発。

 ここから伏馬田方面の下り坂も急な階段。次いで崖を削った細い道になり、右下は奈落の底という感じで足がすくむ。それを乗り越えると林間の歩きやすい下り道となる。

 『伏馬田入口バス停3.0Km』の道標で15:10

 展望の開けた草道に出て、少し行った「伏馬田分岐」を左に下りて行く(15:20)

 『伏馬田入口バス停1.7Km』の道標付近に庚申塔が建っていて、その先から石畳道になる。

【西野々】 

 15:40石砂山登山道を下り切って車道に出る。

 広い車道を右へ6分程下り、道志川に架かる亀見橋を渡る。橋を渡る手前を左に入る道には「バカンス村」の看板が掲げられ、橋の上から覗くと道志川は怖いくらい遥か下の方を流れている。また、橋を渡った左側には亀見橋竣工記念碑が建っていた。

【亀見橋の沿革】

 此の地点は藤野町牧野と津久井町青野原とを結ぶ交通場の要所として往古より架橋の必要に迫られていた 両地区の協力によって地域積年の夢が実現されたのは今から凡そ百八十年前の寛政十二年のことである 橋材はすべて欅を使用し構造は出梁造りで山梨県大月市の猿橋を基に構築され しかも橋梁の中央には川底から柱が建てられていたという 当時橋下の岩場に遊ぶ亀を見て その長寿にあやかり亀見橋と命名したことが今に伝えられている
 明治二十三年に第一回の架け替えが同じ方式を用いて行われ 大正十年の架け替えからは吊り橋方式に変った その後昭和七年に第三回の架け替えが行われている 昭和二十三年における四回目の架け替えは 間もなく湖底に沈む運命にあった津久井町の荒川大橋と相模湖町の嵐山橋の廃材によってなされた 以来三十有余年を経過して腐朽度も高く極めて危険な状態になるに及んで地域住民の協力はもとより関係機関の絶大なご支援により長大にして堅牢な永久橋化の実現を見るに至った 
 地域の将来に思いを馳せ 此の偉業に貢献された関係各位の尽力と生民をはじめ行き交う人々の歓びを千載青史に伝えるための茲に亀見橋竣工記念碑を建立した次第である 
     昭和五十八年三月吉日 亀見橋建設委員会 

 亀見橋を渡ると大きくUカーブする長い登り坂となる。登りきって国道413号線の新道を横断するとすぐ旧国道にぶつかる(16:00)

 旧国道にぶつかった右手が「伏馬田バス停」で、東海自然歩道はここを左折して、次の「西野々バス停」に向う。ここに立つ道標には左『焼山4.1Km』とある。

 左折してすぐ左側に「大山道」の石碑が建っている。

 旧国道を左折して5分で「西野々バス停」に到着。

 東海自然歩道は、このバス停から右折して「焼山」経由の充分な装備が必要な本格的登山道になるので、一人では行けないルートである。

 次回は何時になるか分からないが、別の楽なルートを選ぶことになるだろう。

 バス停前の「西野々自治会館碑難所」にはトイレとテーブル・ベンチがあるのでバスが来るまで休憩できる。

 16:37発の神奈中バスにて「三ヶ木」乗り換えでJR「橋本駅」まで行き、横浜線で帰宅。



 3回目の旅終了(16:05) 西野々バス停 

 本日の記録 : 自然歩道のみの距離は、9.9Km (顕鏡寺〜西野々バス停) 累計26.4Km

          歩行数は18,700歩、6時間 (石老山入口バス停〜西野々バス停)

 

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