東海自然歩道 2回目 (千木良バス停 → 顕鏡寺)

 2012年10月16日(水) 晴

  電車で「相模湖駅」迄行き、神奈中バスに乗り換えて前回終えた「千木良バス停」を9:45スタート。

  (注: 文中で左側、右側とは大坂に向っての左右です)

 

「1回目」 ← 「目次」 → 「3回目」

 

 東海自然歩道は標識が整備されているのにも拘わらず、今回は勘違いから2回も道を間違えてしまい、大変な目にあってしまった。


【弁天橋】 

 小仏城山から下りて来たら、「千木良バス停」のある国道20号線を横断して直進し、突き当りを左折する。次いで「牛鞍神社」前を右折して細い山道を弁天橋に向って下って行く。「牛鞍神社」前にトイレは有るが、弁天橋を渡った先にあるトイレの方が綺麗である。

 山道を下って行く途中、下の写真の様に弁天橋が綺麗に見えてくる。

10:00弁天橋に到着。

 橋を渡る手前に旧弁天橋掛替の碑が建っており、渡った所に東海自然歩道の案内板が立っている。

【旧弁天橋記念史・旧弁天橋掛替記】

 昭和二十二年相模湖完成、下流の弁天島は昔の桂川渓谷の残る唯一の処である。昭和二十七年此処に観光を目的に発起人始め部落民の全面協力を得て部落共有林を売却し吊り橋が完成した。橋番を置き三十余年多くのハイカーと町民の協力を戴き有料橋で維持し今日に至るも軽量鋼材使用の為老化が進み管理に心痛苦慮した代表者が県に配慮を願っていた。これが時代の恵み「新神奈川計画地方の時代」で認められダム建設地に例を見ない有料橋を無償県移管が出来た。江戸の頃より部落民に維持されて来た原下の渡船もダムの為消え去り四十年が過ぎた。

 今それに代り待望の贈物公共の吊橋が出現数多くの方々に長い歳月旧弁天橋を愛し利用戴くこと深く感謝すると共に新吊橋の安全と渡橋者の幸運を祈念。

     昭和六十一年四月吉日 旧弁天橋代表

【東海自然歩道】

 環境省が計画する長距離自然歩道のひとつが東海自然歩道です。長距離自然歩道は、国土を横断、縦断又は循環し、多くの人々が四季を通じて手軽に楽しくかつ安全に国土の優れた風景地を歩くことにより、沿線の豊かな自然環境や自然景観、さらには歴史や文化に触れ、国土や風土を再認識し、併せて自然保護に対する意識を高めることを目的としています。

 東海自然歩道は、全国初の長距離自然歩道として昭和45年に路線決定されました。明治の森高尾国定公園(東京都八王子市高尾)を起点に神奈川、山梨、静岡、愛知、岐阜、三重、奈良、滋賀、京都をつないで明治の森箕面国定公園(大阪市箕面市)に至る1697Kmの路線です。

 神奈川県内は、東京都県境の城山から県立陣馬相模湖自然公園、丹沢国定公園、県立丹沢大山自然公園を通って山梨県高指山出合までの127.5Kmです。一部区間は本格的な登山道と比較的歩きやすい林道等を歩く道の復路線になっています。中山間部が中心ですが、途中は里や沢など変化に富んだ風景に出合い、豊かな自然に親しむことができます。

 東海自然歩道は本格的な登山道を含みますので、十分な装備を用意し、無理をせず、健康に気をつけて体調を整えて歩きましょう。

*避難小屋について

 避難小屋は緊急時に避難するために設置しています。常時解放していますので、ご利用下さい。

     神奈川県 自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課

【嵐山】

 弁天橋を渡って右手の階段を上るとすぐ綺麗なトイレがあるので必ず寄っておくこと。この先、嵐山を越えて顕鏡寺まで3時間近くトイレはありません。

 階段を上りきると「県立津久井養護学校」が現れるので、その横を真直ぐ行き舗装道路に出る。

ここで1回目の間違え!

 ここから相模湖方面に数分行けば嵐山登山口があるのだが、舗装道路に出た所で左上を見ると細い山道に「嵐山・・・」の看板が立っていたので、この道が東海自然歩道の訳がないと思いつつも登ってしまった。

 少し登って「佛光寺」の横に山道が上に続いている所に出た。登山口の看板も無く付近をうろうろしていたら地元の人に出会ったので訪ねた所、嵐山山頂に行けることが分かった。更にその人が”途中の二股道を左に行きなさい”とのことで、それに従ったらとんでもないことになってしまった。

 分かれ道を左にとって少し登ると、擦れてしまった何やら説明文が立っていたので、大丈夫だと登って行ったら、徐々に道が無くなって行くではないか。ここまで登って来ると引き返す時間が勿体無いと思い、教えてくれた人を信じて文字通り道なき道を思い切って登ることにした。

 地面に手を付いたり、立木に手をかけて引っ張り上げたりしなければならないほどの獣しか通らないと思われる急坂に悪戦苦闘しながら登ること30分。やっと嵐山山頂より南側に少し下がった登山道(東海自然歩道)に出る事が出来た。

11:05嵐山山頂に到着。

 山頂から相模湖が綺麗に見え(下の写真)、道標には「弁天橋1.6Km」、「ねん坂2.4Km」とあった。

 また、山頂には「産霊宮(むすびのみや)水上神社」という小さな神社(祠程度)が祀られており、立派な鳥居も建っている。

 山頂広場(テーブルとベンチがある)で持参の弁当を開ける。この日は平日なので一組の夫婦ハイカーしかいなかった。

【嵐山(標高405.9M)】

 南は道志山、北は小仏山脈の中間にあって間の山(あいのやま)というのが本当の名であるが「相模湖東岸に迫るなだらかな山容と山肌を色どる美しい落葉広葉樹林が織りなす景観が京都の嵐山に似ている」のでいつのころか嵐山といわれるようになりました。

     神奈川県

【産霊宮水上神社】

 小さな神社ですが願いごとを叶える霊力は大変大きなものがあります。この神社は嵐山山頂という眺望抜群で森林浴に適し、かつ生命が甦るパワースポット・まほろば(真に秀でた場所)に建立されているからです。


【鼠坂(ねんざか)

 11:20嵐山山頂を出発。

 途中、小さな沢に架かる狭い板の橋を何本か渡りながら下って行くと、やがて下方に道路が見えて車の音がしてきた。もうすぐ下界かと喜んだところ、ここからかなりの上り坂となる。すぐ山道が終わると思って気を抜いた為、この上り坂は損した気分で疲れた。ハイカーの心得である「到着する迄は道半ばと思え」が身に染みた。

鼠坂を下りて12:15。

 舗装道路に下りた所に「顕鏡寺2.4Km」の標識。次いで国道412号線を陸橋で渡り、標識に従って進む。

【顕鏡寺】

 国道から10分程で舗装道路から離れて左の山道に入る。

ここで2回目の間違え!

 比較的広い山道を暫く登って行ったところ、真直ぐ方向と右に曲がる丁字路に標識が立っていたが、その標識が斜め右に向いていたことと、真直ぐ方向に覆いかぶさる様に大きな木が倒れて先の道が全く見えなかったことなどから、その先に道が無いと思い込み、確かめもせずに右折してしまった。更に右折道の途中から細く急な山道を苦労して登って行くとやがて林道に出て、すぐ行き止まりになってしまった。

 結論的にはその林道を下って行けば東海自然歩道に合流したのだが、迷った挙句3回も間違えたくないとの思いで元の丁字路に戻って良く確かめたら、倒木の先に立派な道が続いていたのであった。山道に限らず良く確かめる事と肝に銘じながら進んだところ、先程の林道と思われる道に合流した時は無駄な時間を使ってしまったものだともう一度悔やん だ。

山道を下りて人家が現れた所で13:05(おそらく30分位ロスしたと思われる)

 山を下りた先の丁字路を標識に従って右折する。真直ぐ行けば国道412号の「石老山入口バス停」に行ける。

 数分でかつて顕鏡寺の総門があったと云う広小路に到着する(13:15)。ここから右の石段を上がるとその先に通称男坂と呼ばれるきつい登山道が待ち構える。

 参道にもかかわらず途中多くの巨岩奇岩が次から次へと現れ、それらを縫うように文字通りの登山道が本堂まで続く。2回も急な間違い道で体力を使った為、この20分間の山道は堪えた。

 登り始めに滝不動があり、その先の巨岩にはそれぞれ名前が付けられ、説明板 が立っていたので、順に紹介する。

【広小路】

 ここは昔、顕鏡寺の総門があった場所で、登山者、参拝者の休憩所でもあった。
 記念碑「石老山」は、昭和十年に横浜貿易新報社(現在の神奈川新聞社)が、神奈川の名称史蹟を募集して、入賞した石碑で、これは県下名勝史蹟五十五佳撰記念碑である。

【滝不動】

 岩屋の前の大石の上に紋龍の石像があり、悪魔を降伏させるような顔相である。この石像に岩上から滝がふりかかるので、これを滝不動という。昔は水量も多く参詣人がこの滝の水を浴びて身を清め祈願したといわれている。
 今は、紋龍の石像はこわれ、顔相だけになっている。

【仁王岩(阿呼岩)】 (左の写真参照)
 平面に傾斜している巨岩と右側少し入ったところに直立した巨岩がある。左右相対して一対の岩となり、これを「仁王岩」または「阿呼岩」という。この場所は昔、仁王門があった場所ともいわれ、仁王岩の名がついたと思われる。
 左側の巨岩は、高さ約九m、横幅約十二・五m、右側の巨岩は、高さ約七m、横幅約九mである。


【駒立岩】

 この駒立岩は山中最も有名な巨岩で、伝説も秘めている。
 石老山顕鏡寺建立の始まりで、京都、高家宮人三條殿の若者武庫郎と八條殿の姫君が、今から一千年の昔、名馬にまたがり住居とする岩窟を探す時、この岩で休憩したといわれ、岩上には馬の蹄や寝た跡がある。
 岩の大きさは、高さ約十一m、横幅約十七mである。

【力試岩・文殊岩】

 大きい岩の上に直立した小さい岩が「力試岩」である。
 大きい岩が「男岩」で周囲約三・五m、高さ約一・六m、小さい岩が「女岩」で、周囲約二m、高さ約一・六mである。昔、力持ちの人達が力試しをしたと伝えられている。
 右側にある大きい岩を「文殊岩」といい、岩のように重い罪も文殊の知恵はこれを救うといわれて、参拝者はこの岩肌にさわってあやかるのである。岩の大きさは高さ約十二m、横幅約十七mである。

13:35顕鏡寺山門に到着。

 山門前に自販機があり、山門の右手広場(駐車場)の中ほどにトイレがある。

 東海自然歩道は山門手前の左から石老山への登山道として続いて行くが、その上り口に岩窟がある。

【顕鏡寺】

 今から千百年余りの昔のこと。当時の宮人、三条貴丞卿の若君武庫郎(むこお)と八条殿の姫君の子として生まれた男の子は、岩若丸と名付けられ、若君は子供との再会の証として、鏡を割って一片を渡し、道志法師となって諸国行脚に出た。その後成長した岩若丸は父母と再会。岩若丸は僧となって源海上人と号し、古い石の山から寺の号を石老山といい、鏡から顕鏡寺と呼んだといわれています。

     神奈川県 自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課

【岩窟】

 この岩窟は、「道志法師」、「源海法師」が住居とし、これを道志岩窟という。

 岩窟の中に「福一満虚空蔵尊」が安置されており、顕鏡寺の寺宝とされている。顕鏡寺で行う小児虫留加地はこの虚空蔵尊の霊験といわれている。

 岩の大きさは、高さ約七m、横幅約十二mで、岩窟の中は奥行約五m、横幅約五m、高さ約二mである。

 顕鏡寺で10分程休憩したのち、石老山を越えて「篠原」まで行く予定だったが、登山道を少し登った所で足の動きが鈍くなり、この先の 山越えをする元気が無くなってしまったので、無理せずにここで引き返すことにした。

 今回は取りあえず顕鏡寺で終了とし 、国道412号に合流した所にある「石老山入口バス停」まで女坂を15分かけて下り、あまり待たずに来た相模湖駅行きのバスで帰宅した。



2回目の旅終了(14:15) 石老山入口バス停 

 本日の記録 : 自然歩道のみの距離は、7.7Km (千木良バス停〜顕鏡寺) 累計16.5Km

          間違い道を含めた歩行数は18,000歩、4時間30分 (千木良バス停〜 石老山入口バス停)

 

「1回目」 ← 「目次」 → 「3回目」