東海道のミニ情報
1.〔朝日新聞 2004年1月23日〕
広重、東海道を旅せず? 他の絵と人物酷似 石の橋脚が木製に 26枚、転用の可能性
江戸末期の浮世絵師・歌川広重が出世作の「保永堂版東海道五拾三次」を京都まで旅せずに描いたのは確実だと、浮世絵研究家が発表。
全55枚のうち少なくとも26枚が既に刊行されていた3種類の本からの転用だと指摘している。
これまで、広重は天保3年(1832)、朝廷に馬を献上する幕府の一行と一緒に京都に行き、道中の見聞を元に東海道五拾三次を製作したとされてきた。
しかし、上洛説は三代広重が初代から聞いたとの話が明治の新聞で紹介されたのが発端。旅行記はもちろん、幕府の記録もない。事実なら自慢できるのに当時の書物にも記述はない。
研究家が詳しく分析した結果、「東海道名所絵図」から19枚(由比・興津・江尻・岡部・島田・金谷・袋井・舞坂・吉田・赤坂・岡崎・池鯉鮒・石薬師・岡・阪之下・石部・草津・大津・京都)、十返舎一九の「続膝栗毛 四編」から6枚(川崎・藤沢・平塚・沼津・藤枝・草津)、「伊勢参宮名所絵図」から2枚(桑名・土山)の転用があるとした。草津は2種類からの転用。
「川崎」では、たばこを吸う客など3人の姿が続膝栗毛の口絵の一部にそっくり。「桑名」は、伊勢参宮名所絵図から船や城を借用したらしい。京都・三条大橋の石造り橋脚は木製として描かれ、後の東海道シリーズで石に変わった。
研究家は、「行った行かないは別次元の話で、行かずにあれだけ描いた広重はすごい。行ったから箔がつくチャチな画家じゃありません」と評価している。
上記内容は一部要約しています。
また、新聞には、「川崎」の部分で「続膝栗毛」の口絵の一部が掲載されていましたが、 人物は本当にそっくりです。
実際に広重の絵と比べながら歩き、現在も残っている景色を見ると、行かないで描いたのならすごい人だ。
2.〔読売新聞「横浜版」 2005年5月8日〕(抜粋)
旧東海道の魅力 お休み処でPR
横浜市内の旧東海道沿いにある飲食店などが同志の会「ハマの東海道」を結成し、歴史と食をテーマに新たな名物を作り出そうと意気込んでいるが、第1弾として、店先に一息つける場を設け、街道の歴史にも思いを馳せてもらおうと「お休み処」作りに乗り出した。
市内3宿場(神奈川・保土ヶ谷・戸塚)の商店主ら企画 メンバーは現在15人。
お休み処は、東海道を観光で歩く人が休む場所が少ないことに着目して、神奈川「割烹 田中家」、保土ヶ谷「宿場そば 桑名屋」、戸塚「菓匠 栗山」の3店の店先に、数人が座れる長いすと日よけの傘を用意した。
同会は、今後、お休み処を10ヶ所程度増やしていく意向で、名産品を販売する拠点作りや、市外にある東海道の宿場町との連携などにも活動を広げていきたいとしている。
このような企画は、東海道を歩く人にとって大変ありがたいことです。
しかし、歩く側から言わせてもらうと、最も切実な要望としてはトイレの設備です。街道筋に沢山あるお寺の境内のトイレを拝借することが度々あるのですが、長時間全くないことが多く苦労しています。数少ない公衆トイレが見つかったときはほっとします。
高齢化社会、ダイエット等で歩く人が益々増えてくると思われますので、自治体や街道筋の商店の皆様へ、地元活性化のためにも、お休み処やトイレの設置、更に案内板の充実を切にお願い致します。